両親の「トラック遠距離恋愛」がなければ、わたしは生まれていなかった。

ドライバー

言うまでもなく、長距離トラックドライバーは全国を走る仕事です。

筆者の父親も、かつて長距離トラックドライバーとして働いていた時期がありました。

ある事情があったために筆者が真実を知らされたのは母親の死後でしたが、両親を繋ぎ今筆者がここにいるのはひとえに長距離トラックが結んだ縁でした。

筆者にも想像のつかなかった両親の出会いを知らされた筆者は、ただただ驚いただけです。

文字通り、全てを「墓場まで持って行った」母

筆者の母が他界したのは10年ほど前のことです。

その時、筆者が30年以上知らされていなかった両親の秘密をようやく父が明かしました。

長崎県生まれの父と北海道生まれの母。

筆者は小さい頃、「お父さんとお母さんはどうやって出会ったの?」と聞いたことがあります。それに対して両親は「名古屋だよ」と答えていました。

小学生にもなればそういうことに興味を持つようになるものです。

納得するような、しないような気持ちは筆者が成長するにつれて高まります。どうしてお互い九州、北海道というところから名古屋に?
そこがいつまでも謎のままでした。

しかし、どこか深掘りしにくい雰囲気があり、その謎に蓋をしたまま大人になりました。

結局母は、詳細を語らないまま、その謎を墓場まで持って行ったのです。

きっかけは「集荷先」

そもそも、筆者は父がトラックドライバーをしていたことも知りませんでした。

離島で生まれ、兄妹も多かった父は、高校卒業と同時に地元を飛び出し、職を転々としながら大阪にたどり着きました。

「おらこんな村、いやだ」というわけです。

そしてその後、母と出会うことになるのですが、いきさつはこのようなものだったのです。

母は自分の姉と一緒に北海道の小さな町から、岐阜の紡績工場に働きに出ていました。家計を支えるためです。集団就職の名残もあったことでしょう。

工場での生活は全寮制です。実家への仕送り以外の給料は会社が預かり、その中から小遣いをもらって出かけるという生活をしていたそうです。

そして当時、大阪を拠点にトラックドライバーとして働いていた父が、その工場に定期的に集荷に訪れていました。

それが二人の最初の出会いだったのです。

父は全国を走っていますから、その工場に寄るタイミングだけが母と過ごせる時間でした。

もちろん寮には上がれませんが近くにお気に入りの焼き鳥屋があり、そこで親睦を深めて行ったということでした。父が工場に寄るとき、一緒にその店に行く。それが唯一、母の心休まる場所だったといいます。

その他は、寮への時々の電話でした。

筆者の知らない話が続々と出てきて驚いたものです。

話はさらに続きます。

母の寮での生活はさまざまな制約がある上に給料もそう良いものではなく、実家に仕送りをすればほとんど残らないような状況だったため、その苦しさを救おうと父が動いたと言います。

そこで、父が知人の紹介を受けて名古屋市内に母の働き口を見つけ、母は名古屋市内で働くことになりました。そして父は九州の生まれですから、当時、九州最大の都市だった小倉に腰を下ろし結婚したということです。

「お父さんとお母さんは名古屋で出会ったんよ」。

それは、完全な嘘ではなかったようです。

トラックが結んだ他の縁は実は身近にあった

そして、父の話にはさらに驚きがありました。

母の姉、つまり筆者のおばに当たる人ですが、母と一緒に紡績工場の寮で生活していたおばもまた、トラックドライバーと出会い結婚していたのです。

おばの夫=筆者のおじ、もまた当時トラックドライバーで、しかも、もともと父と顔見知りだったというから驚きです。

思い起こせば筆者の小さい時、そんな話をしていたような、していなかったような。

ただ、妙に仲が良いなあと思ったことはありました。

小さい頃から抱き続けていた自分の出自について、断片的な遠い記憶の数々が一気に線で結ばれたのです。

事実は小説より奇なり。

父とおじが仲間として触れ合い始めた時。
母とおばが一緒に岐阜に出てきた時。
全員が、こんな未来は想像していなかっただろうなあ・・・と思うと不思議なものです。

そして、筆者の大学受験が近づいたときにも伏線はありました。

「東京の大学だけはやめてほしい」。父の言葉です。

東京は嫌い、というのは偏見ではないか?そう思っていたのですが、父はかつて東京も走っていたのです。

経験があって、東京が苦手だったのだなあ、と。

今だからこそ納得する話です。

父親が運転好きだったことも納得です。

「旅」のDNAは娘にも?

全国を走り回る。

ということに筆者も憧れを抱いたのは、父親の血かもしれません。

自分の性格は父そっくりだなあ、とよく思うことがあります。

筆者も学生時代、日本を隅々まで走り回りました。自転車ではありますが。

北から南まで、4か月約1万キロの旅です。一人旅だったこともまた、長距離トラックドライバーに似ているかもしれません。どこか一匹狼な気質です。

旅先でも、声をかけてくれるトラックドライバーさんが何人もいました。旅人に優しいのでしょうか?

あるところでは飲み物の差し入れをしてくれたり、コンビニから回収してきたお弁当を「ほんとはいけないんだけど、まだ賞味期限があるし」と分けてくれたりしたドライバーさんもいました。

いろんな地域のナンバーをつけたトラックを見かけるたびに、このトラックはどこまで行くのだろう?とワクワクしたものです。

母親はなぜ語らなかったのか

ところで、話を筆者の母親に戻したいと思います。

なぜ両親は、自分たちの出会いの経緯をずっと黙っていたのか。

母は、自分が中学しかでていないことにコンプレックスを持っていたのだと言います。筆者としてはそのことを知らされていたとしても何とも思わなかったでしょうし今でも思いませんが、母の中では、娘に知られたくなかったことだったそうです。
そして地域のバレーボールチームではエースアタッカー、パートに働きに出ても、いつもどこかしら楽しそうな母のことを凄い人だなあと思っていただけです。

(ちなみに、周囲で評判の美人さんでした)

むしろ、若くして働き始めて家計を支えていたこと、最終的に九州までやってきた覚悟は凄いことだと思います。

筆者からすれば、想像のつかないことだからです。

しかし両親は、そのことは私には言うまいと決めていたのです。

今思えば、自分たちの過去をあまり話さない両親でした。

また、母が私の進学に熱心だったことも、母自身のコンプレックスが理由の一部だったのだろうなと思います。

口うるさい教育ママではありませんでしたが、とにかくいい大学に行かせたい、その気持ちはかなり強かったようです。合格通知が来た時、母は涙を流しました。驚きました。

しかしそんなことも知らない娘は、大学では遊び呆けてしまいました。申し訳ない気持ちが少しあります。

不思議な縁というのは存在するんだなあと、そしてその延長線上に今自分がいるんだなあと、時々思い起こしてはまた不思議な気持ちになっています。

清水 沙矢香 2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

 

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