「好きを仕事に」は転職の動機として正しいのか 私が愛した元カレの場合

キャリア

転職が当たり前になり、ワークライフバランスなどの言葉も耳にすることが多くなった昨今、自分の仕事について考える機会は多い。

私も、1度転職をした。今はものを書く仕事をしている。そしてこの転職のおかげで、少しは人間的魅力が増したと思っている。

仕事の出来不出来などは、関係がない。実際、転職するまでの私は誰に嫌われても全くおかしくないような人間だった。

かつて付き合った社会人の彼氏は、仕事に生きていた

大学生の頃、私は社会人の男性と付き合っていた。

彼は、アパレルの仕事をしていた。店長だか副店長だか何らかのマネージャーだか、詳しいことは忘れてしまったが、私と付き合い始めたときにはすでに経営に携わっていた。

訪れたことこそなかったものの、店は商業施設にあるらしい。

毎日毎日忙しそうにしており、連絡もあまりなかったことが逆に印象的である。

一方の私は、責任のない気楽なバイトを掛け持ちする一般的な大学生。社会人にありがちな苦労とは無縁の呑気な生活を送っていた。

数年後に社会に出るということはわかっていたが、そのイメージがしっかりと築かれているわけではもちろんない。

見通しの甘い学生だったことも手伝って、連絡頻度やデートの回数に文句を言うこともあった。

そうすると彼は、大抵の場合時間を捻出して対応してくれる。申し分のない男性だった。

お互いのライフスタイルを加味して、デートは朝にすることが多かった。

駅で会って、一緒にカフェでモーニングセットを注文し、食べ終われば彼は仕事へ、私は大学へと向かう。

今までの交際経験では考えられなかったそんなデートスタイルも、私は素敵だと思っていた。

付き合っていた期間に相応のレベルではあるが、私はきちんと彼のことを好きだったのだ。

初めのうち、食事をしながら聞く彼の話は面白かった。特に仕事の話は知らない世界のことなので興味深いとすら思っていた。

その人の春といえば、夏のセールのことを考える時期だった。夏はといえば秋のセールのことを考える時期である。彼が、

「自分が今どの季節を生きているのかわからなくなる」

と話していたことについては、未だに覚えている。当時は心の中で、

(なんて大袈裟な男なんだ…!)

と思ったりしたものだ。

「こんな奴とは付き合いたくない!」

しかし、付き合い始めて少し経つと、話の質が変わってきた。

私たちの共通の趣味は映画だったが、同じものを鑑賞していない限り長く会話がもつわけではない。

デートらしいデートもせず、お互いに知りたいことを聞き尽くした後、会話は当然のように近況報告がメインになった。

大学生の私の近況はそれなりに刺激的なこともあるが、忙殺社会人の彼の近況に真新しいことなど特になかった。

元々は多趣味な人だったようだが、

「最近は仕事でまとまった時間もとりづらい…」

と嘆いてもいた。

彼が仕事の話をする率は徐々に増えていった。そして、だんだんその中に愚痴が混じるようになった。

初期の頃は“愚痴チューハイ”くらいだったものが“愚痴のお湯割り”に変わり、最終的には“愚痴のロック”が提供される始末となった。

そんなものを飲み干してから大学に行くのは気分が重い。

そもそも、仕事の愚痴を聞かされたところで私にできることは限られている。

せいぜい、「大変だね」と共感するとか、「身体に気をつけてね」と心配するくらいしかバリエーションがない。

(そんなことなら辞めればいいのに…)

そう、心の中では思っているのである。

ミスの多い部下については、「知らん!」と言いたかったし、いけ好かない上司への対応や会社の待遇については、「わからん!」と言いたかった。

仕事で忙しく、会えば仕事の愚痴ばかりという男性に、

(熱心で素敵!結婚しても困らなさそう!)

なんて感じられるような女性では到底なかった私は、彼への愛情をキープし続けることが困難になった。

その内に新たな魅力探しもしなくなり、数か月でするっと、交際は終了した。

「こんな奴とは付き合いたくない!…んじゃなかったの?」

そんな経験も忘れかけていた頃、私は社会人になった。

フォトスタジオで働くことになった私の生活は一変した。

スタッフの少ないフォトスタジオでは、常に忙しさに目を回している状態だ。

3年間で社会人になるまでの人生で経験してきた“体調悪い”のトータルと同じくらい身体を壊した。

当然というのはおかしなことだが、当然、有給の概念は誰1人として持ち合わせていない。

待遇悪し、体制悪し。

そんな状態の中、長年働いてきた人間が上司になるわけなので、我慢したところで何かが変わることはなかった。

そんな状態なので、当時の恋人とはなかなか会うことができなかった。

優しい男性だったので、よく電話はしてきてくれる。その電話が、生活の中の唯一の楽しみと言っても過言ではなかった。

ある日のこと、私は電話中に、

「七五三の撮影が一年中あって、今生きているのが何月かわからなくなるわ…」

と口にした。

そこではっとしたのである。

かつて付き合っていた男性と、同じようなことを言っている…。

大袈裟だとさえ思っていたのに、今や当事者になっている…。

軽く笑いながら相槌を打ってくれる恋人の声も、耳に入らなかった。

すっかり忘れていた元カレの存在を思い出したことで、その電話がかかってきてから自分が仕事の愚痴しか話していないということに気付いたからだ。

昨日の電話も、その前の電話も、多分同じようなことになっていたのだろう。

あれだけ愚痴ばかり聞くのは嫌だと思っていたというのに、自分の仕事の辛さは恋人に励ましてもらえばいいと思っていた。

あれだけ何を言えばいいかわからないと思っていたというのに、恋人の気持ちを考えたことはなかった。

(そんなことなら辞めればいいのに…)

私は数年前に思ったことを、今度ははっきり自分に対する感情として抱いていた。

自分の仕事が嫌いな人と過ごせる時間は長くないかもしれない

こうして私は仕事を辞めた。

退職届を出すときには、

(今度は不満を他人にぶつけることなく続けられる仕事をしよう)

と心に決めていた。

そして、次に深く付き合うなら「自分の仕事が好きな人」がいい、と思った。

大学生の頃に付き合っていた元カレや、1分前までの自分みたいな人じゃなくて。

仕事について考えたときに、頭をよぎることはたくさんあるだろう。

収入や待遇、最近では働き方や自分に向いているかどうかを検討する人も多いはずだ。

そして、恋人がいなかったり独身だったりする場合には、その上に“異性からのイメージ”が乗っかってきたりもする。

きちんとした仕事をしていないとモテない、という価値観は確かに存在するのだろうが、どこでも通用するものだとは思って欲しくない。

上記で述べた経験から、個人的には自分の仕事が好きな人、これが最強だ。

しっかりした職についていようが、愚痴ばかりでは付き合いきれない。いいイメージがあっても不満が漏れ出るようでは意味がないだろう。

高収入だったとしても、自分の仕事に誇りを持っていない人は魅力も半減してしまう。

でも、自分の仕事を好きで続けていける人は、少なくとも私の目にはかっこよく映る。

もちろん、その仕事は、どんなものでも構わない。

近年では、「好きを仕事に」という言葉をさまざまなシーンで目にするようになったが、それが叶っていなくても問題はないと思う。

そりゃあ好きなことを仕事にできれば万々歳だろうが、そんなことよりも自分に与えられた仕事を愛せる方が素敵だ。

「好きになれそうだ」

「今より楽しく働けそうだ」

という仕事が見つかったのなら、転職はアリだ。

もちろん、

「現職がキツすぎて自分だけではストレスが抑えきれない」

という状態ならなおのこと有効な選択肢となるだろう。

自分が納得できる環境に身を置くことは、自分にとっても周りにいる人にとってもいい影響をもたらしてくれるはずだ。

私は自分を嫌いにならずに済んだし、身近な存在に毒を吐く生活からも足を洗うことができた。

これがひいては、恋愛面での魅力ともなっていってくれるかもしれない。

私に大切なことを教えてくれた彼は、どうしているのだろう。

今も恋人やパートナー、そして会社に自分を無理やり合わせながら、愚痴を言う日々を送っているのだろうか。

【筆者情報】
千文鶴子
20代。Webライター。
クオーターライフ・クライシス真っただ中だが、何をどうしようとかは一切する気がない。
コーヒーと花とぬいぐるみが好き。

 

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